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特別企画 「緊急招集!介護者座談会~私たちの声を届けよう」

開催概要

[日時] 2016年3月19日(土)13:30~15:30
[場所] ケアラーズカフェ新高円寺 in まちのたすけあいセンター
[参加者]
ディスカッション参加 6名(女性4名、男性2名)
ファシリテーター 和氣
スタッフ 3名
オブザーバー 2名

体験談

いつもは情報の発信や共有が目的ですが、今回は特別企画として「働く」と「介護」を巡る体験談を参加者の皆さんにうかがいました。

【和氣】
要介護者の母と二人暮らし。
32歳の時に母が発症したが、自分は仕事をしていたので母の状態には全く気づかなかった。発症から半年ほどで入院させたが、何もかもがわからないことだらけで、非常に辛かった。
転院で介護タクシーが必要になった時、役所で移送費補助制度があることを知ったが、手続きのために何度も役所へ行ったり許可が下りるまで何カ月も待たされたりした。あげく「緊急性がないため却下」とされ、抗議したらすぐ承認された。緊急性の判断根拠はわからないまま。
この経験から、他の介護者はどうしているのだろうと気になったが、どこにいるのかわからないので、悶々としたまま数年が過ぎていった。
介護離職をした頃、おひとり様介護の本でアラジンのことを知り、ケアラーズカフェに行ってみた。そこで驚いたのは、参加者がみな元気があったこと、ほしい情報がそこにあったこと。相談したらすぐその場で答えが返ってきた。
通ってみて思ったのは、疑問を持ったりそれを口にするのは大変だけれど、そこに気づき動くことで、いろんな情報が入ってきたりひずみがあることが分かったりする。
先輩たちの経験が自分のためになったように、自分の経験が誰かのためになるという思いから、この活動を始めた。

【Aさん】
実母を7年介護。
脳出血から高次脳機能障害になった母を受け入れるのはすごく大変だった。
予備知識がないまま介護が始まってしまい、当初はヘルパーに限度額度外視で入ってもらっていた。次第に自分や妹で介助できることが増えて範囲内で収まるようになったが、今度は自分たちの日常に負担がかかるようになった。 おむつ交換1回のために会社を休んだり、出勤した途端に施設から母を帰宅させると電話が来て、帰らなければならない。会社に行ってもじっと座ってられないという状態が続いた。
その後母の状態が変わり、療養型に入ってもらうことを決めたが、とても葛藤があった。「母に申し訳ない、自分は親不孝な娘だ」と無念さをしばらく抱えていた。病院から急変の電話がかかってきたらどうしようと夜中に目が覚めることもあった。
職場は協力的だったので続けることができ、今は週4回3時間のパートで勤めている。これが社会との接点になるので、自分のためにはすごく良かった。
アラジンを知ってから訪れるまでは、3年かかった。疲れきっていて、誰にも話したくないけど孤独だった。いざとなったら行く、と最後の心の拠り所にしていた。今は気持ちのリフレッシュになっている。

【Bさん】
旧友が世田谷区におり、ある頃から何度も同じことを言うようになったので、病状を調べたり通院に付き添ううちに頼られるようになった。病院では初め甲状腺機能障害と診断されたが改善せず、次にうつ病を疑ったが結局アルツハイマーだった。
本人のお願いで任意後見人になって12年間やってきたが、最初の3年はとても大変だった。1日2、30回も電話がかかってくると仕事にならない。
認知症について勉強し、周囲の友達も巻き込んだことはすごくよかった。8年在宅介護したが、3年前にグループホームに入った。

実母は遠距離介護中。
母のかかりつけ医から、「最近様子がおかしいが検査していいか」とメールで連絡があった。そこ医師会は介護事業所ももっていたので、そのつてでケアマネを紹介してもらった。ケアマネとのやりとりはメールで行っている。チーム作りのために友人やご近所にも協力をお願いし、自分は司令塔役になる。そうやって体制を整えると安心できる。
以前は月1回3日ほど規制していたが、仕事に差し支えるので今は一晩。やはり仕事がある人は、仕事優先で考えて外堀を埋められればだいぶ楽になると思う。

【Cさん】
措置時代に祖父母を同居介護 。
物心つく頃には祖父が認知症で、祖母もアルツハイマーになっていた。
主介護者は母。自分は祖母の散歩の付き添いや、祖父が夜トイレに行くときの声かけ。そういう世話をするのは普通のことだった。
祖父の経歴は立派らしかったが、家族は尊敬しているようには見えず、好きなことをすることが取り上げられているような状態になっているのはなぜなんだろうと思っていた。 祖母は病院で亡くなったが、医療のあり方にも疑問を持ち、それで大学でも就職先でも医療と介護どちらも勉強した。
業界に入って分かったのは、地域にいろいろなサービスがあるけれどすべて点でしかないということ。その点を選べなかったらなにもできない。点を線にしたい。
医療や介護の情報は、「ご飯を食べない」というような悩みを起点として調べるもので、それを支える手段として、治療もあれば食べやすいものといった答えもあったりする。ざっくばらんな情報を集めて地域に提供したい。親が生きたいように生きられる町にしたい。

【Dさん】
母が半身麻痺で父が老々介護中 。
実家の母が脳内出血で倒れたとき、自分含め子供らはみな首都圏で働いていたため父一人での老々介護。その後母の手術の付き添いで、自分も1週間ほど休みをとった。この時点で既に職場には、実家で母が要介護状態であることを話していた。手術後、父の介護と家事の負担が増えたため本格的に介護休職をした。
最初の3ヶ月は、介護サービス状況の把握に費やされた。その後半年間は、事業所とコミュニケーションを取りながら改善できるところがないか取り組んだ。終わりの3ヶ月は復職に向けた体制づくり。自宅介護の何を誰が分担しているか、24時間1週間分を一覧表で可視化したり、遠距離になっても様子がわかるように、TVにSkypeを設置したり。手順が簡単なので母でも覚えられる。
介護休業を取ると、国の介護給付金とは別に会社からも介護手当が支給されるが、それは復職してから3ヶ月後。しかも休職中の社会保険料(会社が肩代わり)と相殺され、手取りは実質ゼロだった。
休職してすぐに身体介護に入ってしまうと、そのまま時間が過ぎてしまう。復職に備えた体制づくりを考えることは必要。自分は主介護者ではなかったので、復職が可能だった。

【Eさん】
実母の介護歴6年。介護度は5。
急性肺炎・急性心不全で入院したが、当時同居していた弟は接客業で正月に休めない。
退院時に介護が必要になるので手続きをと言われ、介護申請をした。1ヶ月入院していたので足の力が弱くなった。これ以上は在宅でないと無理と言われ、退院。
在宅は外との繋がりがなくなってしまうので反対だった。褥瘡ができて車椅子に乗れなくなると、外出も通院もままならない。
しかし、病院ではできないことでも、在宅ならできることがある。母の同級生を招いて皆で遊んだり、デイサービスのようなことを工夫してやってみた。
次第に状態が悪化し、再度の入退院を経て寝たきりでいるところを、タイミング悪くケアマネが交代し、事業所も変更された。
自分が防波堤になっていたけれど、一番負担がかかったのは母自身。母の命を削ってまで引き継ぎをしなければならないのかと。しかし自分一人で看ることは限界があるので、訪問サービスを入れざるを得ない。苦渋の決断だった。
なお、弟は2013年に離職した。入院の対応などで朝現場の仕事ができないことがあり、その頻度が高いことを理由に退職を迫られた。
当時40代だがハローワークでは仕事が見つからず、派遣登録して収入は3分の1になり、ボーナスもない。父の方もそろそろ弱ってきているので、遠距離介護の体制を考えている。

ディスカッション

ここからは、参加者の皆さんが経験から得た知識をさらに掘り下げて聞いてみました。

◆遠距離でチーム体制を作るには
Bさん:実家は、両隣と仲が良いので事情を話している。自分自身は訪問するまでは顔を知らなかった。ケアマネとの連絡は 「遠距離介護だから」メールでとお願いできた。
和氣:メールにしたいけれど、お願いしてみることを思いつかない。
Cさん:情報発信の立場としては、「介護者は連絡手段にメールを望んでいる」というアンケート結果でもあれば、事業者へ提供してはどうか。
Dさん:仕事でメールを使うのが当たり前な介護者なら発想できるけど、事業者側が使っていなければ彼らの仕事で使おうとは思いつけないのでは。
Bさん:メールはNGだがFAXならOKという事業所は多い。名刺にもメールアドレスが書いてない。

◆要望に合わないケアマネは交代したほうが良い?
Eさん:ケアマネにも得意分野があり、オールマイティーではない。要介護者や介護者との相性が合わなければ替えたほうがよい。ケアマネが司令塔役としてしっかりしていないと、訪問事業者をしっかり監督できない。替えるか、こちらが提案をして動かしていくか。
Aさん:規模の大きい事業所は、異動でこちらの要望とは関係なく替わる。そうするとどこまで要望を言っていいのか迷う。
和氣:ケアマネを選ぶのにもエネルギーがいるので、うちは訪看に頼りきり。もしいなくなったらまた始めから全部やり直しになる。
Eさん:うちはケアマネと訪問事業者を別にしている。同じだとトラブル時に解決方法が平等ではなくなると地域包括に言われた。地域包括の対応によって、介護の運命が変わる。
和氣:ケアマネを交代させるのは、クビにするようで気が引ける。手続自体も、働く介護者にとっては手間がかかる。

◆介護者に情報をどう届けるか
Eさん:ヘルパーは曜日関係なく訪問してくれるが、ケアマネや訪看は土日休みのところが多い。
Bさん:そういう仕組みが最初はわからないので、試行錯誤しながら学んでいくしかない。
和氣:だから介護者は初動で息が切れて離職してしまう。1年以内にやめてしまう人が40%以上いる。特に中高年で介護者になると、今まで順調に仕事ができていたのが、知らないことにぶち当たってそのショックで辞めてしまう。
Bさん:介護家族の会に足を運ぶなどして、地域で情報交換ができるといい。
和氣:アンテナを張っている人には届くけれど、張っていない人にこそ届けたい。一体どうしたらいいのか。
Cさん:興味はあるけど、「調べる」というアクションをしていない人たちですよね。調べる時間と気力の余裕がない。
Bさん:誘う人の存在が必要。こういう場に誘えば来る人が、更に周囲に誘えば来てくれる。
和氣:来てみて嫌な目にあうと二度とこないので、運営側の責任もある。
Cさん:来るのに勇気が要るようだといけない。女性は行きやすいが男性は来ない。

◆事業所はどうやって見極めるのか
和氣;ケアマネや事業所は、初めはどういうのがいいのかわからない。
Eさん:うちは何箇所か相見積もりを取るように面談して見比べて決めた。
Cさん:いきなり脳梗塞で倒れて退院時にケアマネをつけなきゃいけないと言われると、不動産選びのように時間をかけている余裕はない。
和氣:退院日の都合で取りあえず適当に決めてしまうと、面倒くさいことが後からいろいろ起きる。ある程度線引きをしないと馴れ合いになってくる人もいる。要介護者に子供みたいに接しているのを目にすると、家族としてはいい気はしない。
Eさん:家族がいると手を抜くが、第三者がいると態度が違うヘルパーもいる。
和氣:自分が不在だからこそヘルパーを入れている。見張る見張らないの関係にはなりたくない。

———–
ディスカッションでは、様々なノウハウや考察が参加者の皆さんから語られました。これらの情報は、自身の体験だけでなく情報を探しに行ったことで手に入ったものもあるようです。
そのうえで、自分のケースにはどんなやり方が合っているか、その判断基準はやはり経験によって導き出されます。
介護者は自分で動ける人とみなされているので、黙っていても誰も情報を教えてくれません。困っていると自分から声を上げたり情報のある場所に行ったりすることで、答えが得られたり参考になったりするのです。

総評

今回は特別編として久々に皆さまの体験談を伺いました。やはり経験者の言葉は想いがあるので心に刺さりますね。
最近では「経験者の体験を聞きたい」というニーズが多いです。とはいえ体験談を語るにはとてもパワーのいることです。同じ経験者には語ってもいいけど、人には聞かれたくない、という方もおられますしなかなか難しい問題だとは思います。
ですから無理のない範囲で「自分の経験が誰かのためになるのであれば」と思ってくださる方だけで大丈夫なので、引き続きWCBにお力添えをいただきたいと思います。みなさんの大事な経験談を丁寧に発信していきます。

次回開催予定

次回は
5月21日(土)13:30~(予定)です。
詳細が決定次第ケアラーズ・コンシェル(http://carers-concier.com/)やメルマガ、FACEBOOKで告知いたします。
「あなたの経験が誰かのためになる」
ぜひ、たくさんの方にご参加いただきたいと思います!
お楽しみに~

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